最近読んだ本から思いついたことと、昔考えていたことをつなげてみました。(2014年12月に投稿した記事です。)
今回の記事のまとめ
1、ユナボマーは、挑戦すべき目標が社会から失われたと考えた。挑戦すべき目標を再びつくるため、既存の社会を破壊しようとした。
2、現代を被う寂しさは、近代化という国家的な大目標が消えたためだ。(「寂しい国の殺人」村上龍)
3、1980年代以降、アメリカをあいまいな楽観主義が支配した。社会にビジョンは存在せず、金融バブルが発生した。リーマン・ショック以降も、ビジョンがないため危機対応は金融緩和策に終始した。(「ゼロ・トゥ・ワン」ピーター・ティール)
4、日本では、危機打開のビジョンをアベノミクスに決めた。
5、信用不安(債務危機)による大不況の解決には、①支出削減、②債務縮小、③富の再分配、④中央銀行の資金供給、を同時に行う。(「30分でわかる経済の仕組み」レイ・ダリオ)
6、アベノミクスは失敗し、日本株式を買い上げた外国人が日本売りに転じる可能性がある。円資産しか持たない日本人は、円資産の一部を外国資産に振り分けるべき。
1、アメリカには努力に値する目標がない?
1978~1995年にかけて、アメリカにユナボマーという爆弾を送り付ける犯罪者がいました。ずいぶん昔に名前を聞いたぐらいで、私は全く忘れていましたが、前回書評で紹介した「ゼロ・トゥ・ワン」の中に、いきなり登場します。
ユナボマーは1996年に逮捕されますが、その前年に犯行声明文を報道機関に送っています。犯行に及んだ理由について、「ゼロ・トゥ・ワン」によると、アメリカには努力に値する目標がなくなったから既存の社会を破壊しようとした、のだそうです。
ユナボマーの理屈ですが、
『人間が幸せになるには、(達成するのに努力を要するような)目標が必要である。
目標には3種類ある。
①最低限の努力で達成できる目標。
②真剣に努力しないと達成できない目標。
③どれほど努力しても達成できない目標。
現代社会はテクノロジーが発達しすぎたので、努力が必要な目標②はすべてなくなった。
残っているのは①と③なので、現代人は鬱屈と生きるしかない。
したがって、②をつくりだすため、既存の社会制度とテクノロジーを破壊する。
ゆえに、人々に爆弾を送る。』
こんなことで爆弾を送られてはたまりません。
ですが、1970年代になると、もはや努力して達成すべき目標はない、と考える人が現れるような社会状況になったようです。
2、日本からも、めざすべき目標が消えた。
1997年に村上龍は「寂しい国の殺人」で、ひたすら近代化をめざしそれを達成した日本は、国家的な大目標を失い、寂しさに被われている、と指摘しました。豊かになりたいと欧米諸国を手本にただ近代化だけに集中し、ついに近代化がなされると、目標が消え喪失感に沈むことになったのです。
しかも、近代化を達成したことによる喪失感は、近代化以前には存在しないものです。現在抱えたこの喪失感は、過去を振り返っても決して解消する方法は見つかりません。この問題の答えは、過去にはありませんでした。
1990年代には、経済が低迷して閉塞感がありました。おそらく、バブル崩壊という失敗は何だったのか、という問いかけが人々の意識の底にあったとは思います。無意識レベルですが。
(でも実は、バブル崩壊はただの不況で、また好景気が来ると考える人も多くいました。日本経済の実態が明らかになり、さらにどん詰まりの閉塞感が充満するのは、失われた20年になってからです。)
さてそんな1990年代ですが、そのころメディア(新聞・雑誌・テレビ)では、
「もういちど戦後直後のように、焼け野原の状態からやり直せばいい。焼け野原の何もない状態から始めれば、すっきりする。」
のようなことをいう評論家の類が結構いました。
こういった発言は、阪神大震災やオウム真理教事件、神戸の児童殺傷事件、金融危機(長銀破綻など)のような、どう考えればよいか難しい問題に対し頻繁に出現しました。
今はいませんけど、当時は本当にそんなことをいう知識人がそこそこいました。
馬鹿かと。
メディアにそんなコメントが掲載されるたび、私はいちいち怒っていました。(まだ若かったので。)
このコメントを噛み砕くと、
『日本は戦後、ひたすら豊かになりたい、お腹いっぱいご飯が食べたい、ぼろぼろでない服が着たい、快適な家に住みたい、たくさん電化製品が欲しい、車が欲しい、いい学校に通いたい(学歴)、いい会社に入りたい(地位)、着飾るブランド商品が欲しい、海外旅行に行きたい、と言ってそれしか考えず突き進んできた。』
『ついに物質的に豊かになり、欲しいものがなくなった。欲しいものがなくなったら、何をしていいかわからなくなった。どこに向かえばいいか、どう生きればいいか、何が大切か、何をしたいのか、何に価値があるのか、すべてわからない。』
『寂しく不安で満たされない。』
『今持っているものを捨て、空腹で裸で住む家のない状態に戻ろう。そうすれば、お腹いっぱいご飯が食べたい、ぼろぼろでない服が着たい……、何をすればいいかわかる!』
馬鹿かと。
物がないので物欲全開で生きて、物を集め終わったらやることが見えない。だから物をすべて捨てて、再び物欲全開で生きる。
マズローの欲求段階説ってありますが。それで例えれば、生理的欲求と安全の欲求が満たされたらどう生きればよいかわからなくなったので、衣食住を捨て、生理的欲求の段階から再開するってことです。
いやしくも評論家や知識人を名乗るなら、先進国並みの生活水準に達したあとは何が大切なのか、(間違っていても)提示してみろと思ったものでした。
今になって考えると、1990年代はまだ日本経済に余力があったので、もう一度焼け野原になればよいなんて言えたわけです。もうそんなことを言う人がいないのは、2014年の日本経済に、もはや余力がない表れでしょう。
日本は高度経済成長後、近代化を達成しましたが、そのあとの目標を見つけられませんでした。バブル期も、バブル崩壊後の停滞期も、やっぱり目標(大切なこと)はわかりませんでした。
3、あいまいな楽観主義。ビジョンはないが、きっと幸せになれる。
(3、は前回紹介の「ゼロ・トゥ・ワン」を参考にしています。)
1982年以降、アメリカは株式相場が右肩上がりとなり、人々は金融が明るい未来を約束すると考えました。あいまいな楽観主義の始まりです。
あいまいな楽観主義は、『未来は予測できないが、未来は今より良い』です。
なぜ予測できないのに未来は明るいのか。こういう認識が生まれた背景には、ベビーブーマー世代があります。ベビーブーマー世代に生まれれば18歳になるまで、自分とは全く関係なく、何もしなくても生活は良くなっていきました。
何もしなくても、具体的な計画を持たなくても、テクノロジーは進歩し自動的に生活は年々良くなりました。そうすると、計画を軽視し偶然を重視するようになります。ビジョンとそれを実現させるための計画が、必要とは思えません。
何もしなくても未来は明るいなら、何も探す必要はありません。この世界でまだ発見されていない本質的なこと(隠れた真実)も、別に必要ない。必要ないと思っていると、最後にはその存在の可能性すら忘れてしまいます。
この世界に隠れた真実は残っていないと考えると、この世界にあるのは既知の定説か、知ることが不可能な謎だけになります。
あいまいな楽観主義の世界では、金融は最高です。
未来は明るいから投資します。でも本質的なことはわからないから、何に投資していいかわかりません。だから選択肢を増やし、分散投資します。そこで各企業に金が集まりますが、企業も投資先がわからないので、自社株買いと配当に使います。すると投資家は儲かります。でも儲かった金の使い道がわかりません。だから分散投資します……
未知の本質的なことは市場に存在しない、と考えるのが効率的市場です。効率的市場では、価格はすべて正しいと考えます。どんな価格でも正しいと考えるので、バブルが発生します。(割高な資産など存在しないと考え投資する。しかし資産価格の高騰は歴史上何度もあった。)効率的市場への信仰は、金融バブルをより大きくし、バブル崩壊の破局を深刻なものにします。
市場は効率的なのに、隠れた真実はないはずなのに、サブプライムローン危機とリーマン・ショックが発生しました。100年に1度の危機です。どうしよう。ビジョンはなく、具体的な計画もなく、どうすればよいかわからないときの解決法は、金融緩和策です。
何をめざせばよいかわからないので、バブル崩壊による含み損を、緩和策で資産を買い上げ再び含み益まで持ち上げることで、解決することにしました。
4、皇国の興廃、このアベノミクスにあり。国民は一層、消費・投資せよ。
アメリカでは目標がなくなったので金融が栄え、金融バブル崩壊のツケは金融緩和策で払うことにしました。日本でも目標が消えたあとに金融バブルが発生し、崩壊後は低迷しています。
さて、日本の低迷・衰退をどう解決するのか。バブル崩壊後もずっと、目標や大切なことはわからないままだったのですが、割と切羽詰まってきました。失われた20年ということなので、平成5年度と25年度を比較してみます。
平成5年度 税収54兆円 公債残高193兆円
平成25年度 税収43兆円 公債残高750兆円
これは財務省の資料の数字で、まあ、いろいろあるかと思います。国の借金は1000兆円以上だし、GDP比で240%だと言う人もいるでしょう。逆に、日本国債は国内で消化されているし、民間の金融資産は1600兆円だし、自国通貨建ての国債でデフォルトはないと言う人もいるでしょう。今年度の税収はもう少し高いです。
しかし20年間、税収が右肩下がりで歳出が右肩上がり、債務残高は指数関数の曲線みたいに増えています。歳出の半分しか税収で賄えず、債務残高が年々積み上がるのを見ると、何らかの決着が近いように思います。
そこで日本国民は、アベノミクスを最後の解決策に決めました。
いやいや、別に最終手段をアベノミクスに決めてないよ、と言う日本国民は多いと思います。ですが、もう決まりました。財政状況的には土俵際ですし、そもそも日銀の異次元緩和には出口はありません。
日銀はすでに国債を200兆円保有しており、これから1年に80兆円ずつ買います。日本の株式も8兆円保有し、毎年3兆円ずつ買います。これほどの額を、真っ当な方法で縮小できるとは思えません。日銀が国債の購入をやめるとか、保有証券を市場で処分するとか、もはや言うことはできません。言った瞬間に、円と株式と国債は暴落です。アベノミクスは、日本男児らしく片道燃料で出撃です。
デフレマインドは日本の敵であり、消費と投資は国民の義務です。贅沢は、素敵です。
5、世界最大のヘッジファンド創業者が発見した答え。
アベノミクスを選び、異次元緩和が始まった以上、行き着くところまで行くでしょう。日本に住んでいる限り、日本国民はその結末から生じる影響を避けられません。
ところでアベノミクスの復習をすると、3本の矢です。
第1の矢:金融政策(異次元緩和)でインフレ率を(2%まで)上げる。
第2の矢:財政出動で景気を刺激し、短期的に経済を持ち上げる。
第3の矢:成長戦略で潜在成長率を上げ、長期的に経済を成長させる。
アベノミクスが成功すると、長期で3%程度の経済成長が持続的に達成され、財政も健全化するはずです。
国民としては、備えるのは失敗した場合です。失敗したらどういう状況になるのでしょうか。それを考える前に、レイ・ダリオ氏の『30分でわかる経済の仕組み』と言う動画を参考にしてみます。金融バブル崩壊後に訪れる大不況への対策を考える動画です。1990年代の日本や2008年以降の欧米に、適応できそうです。
(レイ・ダリオ氏については、以前の記事「リスク・テイカーズ」に言及あり。)
レイ・ダリオ氏によれば、巨額の債務による信用不安下の大不況では、解決策は
①支出の削減。
②債務の縮小。
③富の再分配。
④中央銀行が紙幣を印刷して資産を買う。
となります。債務負担の増加率より、所得の増加率を高くする必要があります。いかに①~④をバランスよく組み合わせられるかが、政策立案者の腕の見せ所です。また、ここで重要なのは、
❶債務より所得が速く増えること。
❷所得より生産性が速く増えること。
❸生産性の向上に努めること。
です。
これをアベノミクスに当てはめてみると、
④は合格、③は微妙、①、②は不合格。❶、❷、❸も不合格です。
内閣官房参与の浜田名誉教授も、金融政策はA、財政政策はB、成長戦略はEとアベノミクスを採点していました。アベノミクスは、金融政策と財政出動のみにとどまり、成長戦略(特に規制緩和・構造改革)は進まないと思われます。
ここまでアベノミクスに批判的な記事を書いてきましたが、私は金融緩和策には消極的賛成でした。異次元緩和を始めたときは消極的賛成であり、今から振り返っても消極的賛成です。私としては、金融政策は単なる時間稼ぎなので、中央銀行が時間を稼いでいる間に、政権が責任を持って構造改革をやれ(規制緩和と社会保障制度改革)と思っていました。
私の意見はどうでもいいのですが、もう成長戦略は成し遂げられないでしょう。
選挙で自民党が大勝すれば、政権基盤が強化され、政策実行期待が高まる(ので株価が上がる)と言う人がいます。選挙で自民党が勝利すれば、しばらく株価は堅調でしょうが、成長戦略という政策が実行されるとは、私にはまったく思えません。
安倍総理は、2012年12月の総選挙で300議席弱の大勝利を収めました。内閣発足後は高い支持率をずっと保ち、2013年5月まで株価は上昇を続け、国民の間でも景気が良くなるという明るい雰囲気が感じられていました。政権としては、政策を実行するのに絶好機でした。
しかしこれだけチャンスがあった、2012年12月から2014年12月までの2年間で実行したのは、靖国神社参拝だけです(あとオリンピック招致?)。TPP参加、法人税減税、雇用規制緩和、医療規制緩和、農業規制緩和、社会保障費抑制、カジノ立法、といった政権発足時に挙がっていた事案は全く何もなされていません。
ここでは靖国参拝やTPPなどの事柄の、政治的正誤や倫理的善悪を論じません。ただ安倍総理は、靖国参拝はきわめて重視するが、規制緩和や構造改革には関心が低いことがわかります。第一次安倍内閣の躓きも、郵政民営化に反対した造反議員の復帰からでした。たとえ総選挙で300議席を獲得しても、憲法改正には動くでしょうが成長戦略には動かないと予想します。
というわけで、安倍政権はお金はばらまくが、痛みを伴う支出の削減はやらないし、生産性も向上できない。とまとめられます。
6、アベノミクスは失敗する可能性が高い。円資産しか持たない人は、外国の資産を持つべき。
これまではずいぶん大きな天下国家の話でしたが、この節は資産防衛という小物の臭いのする話です。私の器が小さいので、最後の結論はみみっちいお話です。
さて、債務に押し潰されそうになったときは、支出と債務を削減し、紙幣を刷って所得を上げ、生産性を向上させることが必要でした。アベノミクスで達成したのは、紙幣を刷ることだけです。財政再建も潜在成長率底上げも、やりませんでした。
ところでアベノミクスの好循環として、資産効果(トリクルダウン)が指摘されます。確かに資産価格が上昇すると、富裕層の消費活動が活発になり、景気を刺激します。2013年の半ばまでは効果がありました。しかし日本では株式投資をする人が少ないので恩恵は広がらず、また実質所得がずっとマイナスだったことから、消費は息切れしてしまいました。
そもそも、現在、日本の株式を買っているのは、
外国人(2013年は15兆円、2014年は2兆円ぐらい)
日銀(毎年1兆円、来年から3兆円)
年金(保有比率が12%から25%に)
だけです。
外国人は、バイ・マイ・アベノミクスに応えて買ってきました。しかし、アベノミクスが旧来の自民党的バラマキと見切ったら、買わなくなります。年金と日銀の買いに限界が来た段階で、外国人は売りに転換します。そうなったら、日本株を買う人は存在しません。
日本買いポジションの人が消滅したとき、怒涛の日本売りが始まります。ジョージ・ソロスがイングランド銀行を打ち倒したように、世界中の投機家が全力で攻撃してくるでしょう。
もう日経新聞にも、
『万が一、金利の急騰やハイパーインフレが起きたとき、(増税を延期した)すべての政党が責任から逃れられないことを意味する。既存の政党が国民の信を失い、極端なナショナリズムや耳に心地よい政策だけを掲げる新たな政治勢力が表舞台に出てきてもおかしくない。ドイツでナチスが台頭したときはそうだった。』(2014年11月23日朝刊2面コラム風見鶏)、
『多くの経済専門家の関心は今や、財政破綻や高インフレが「来るかどうか」ではなく「いつ、どんな形で来るか」に移っている』(2014年11月24日朝刊4面コラム核心)
などと連日書かれる始末です。
バブル崩壊や金融危機発生の時期を、ピンポイントで予測するのは不可能ですが、もうそろそろ限界が近いようです。アベノミクスは持ってせいぜいあと1~2年。本丸の国家財政も、5年か10年で限界が見えるでしょう。対策はひっそりと進めるべきです。危機が露わになってからでは、冷静な行動はとれません。2012年12月以降、自分の金融資産を日本株や外貨に大きく変換できましたか?普通の人には、機を見て素早く投資行動を変えることは難しいです。あらかじめ、外国の資産を含んだポートフォリオをつくっておくべきです。
アベノミクス失敗後に何が起こるか。大きくは2つに分けられると思います。
①誰の目にも明らかな破綻。国債の債務不履行やハイパーインフレ。
②長く続く気付きにくい破綻。金融抑圧。第二次世界大戦後の英国。
①は誰にでもわかるような、大騒ぎになります。円預金の価値が急激に失われるので、外国の資産や実物資産を保有することで、資産価値を守る必要があります。
②では物価上昇率が高くなりますが、名目金利は低く抑えられます。気付きにくいですが、インフレによりじわじわ円預金の価値が低くなります。長い年月をかけて、債権者から債務者へ富が移転します。国民の預金で国債を買っているので、ここでは国民が債権者で、日本政府が債務者です。円預金はインフレ税として国家に徴収されます。この場合も外国の資産や実物資産で、資産の価値を保つことが必要です。
要約すれば、どういう形で破綻しようが円預金の価値は低下するので、外国の資産か実物資産を持ちましょうという話です。破綻の間際になると、破綻するぞ詐欺も増えると思います。平時より落ち着いて、外国資産や実物資産を組み込んだポートフォリオをつくっていきましょう。投資で大儲けを考えるよりは、長期投資(資産防衛)の観点で考えましょう。
敗戦直後、日本でハイパーインフレや預金封鎖があったようですが、体験して覚えている人はほとんどいません。天災は忘れたころにやってきます。備えあれば患いなしです。