(2013年7月に書いた記事です)
価値を持つ、無料の商品
最近、短期間で大金を用意しそれを元手に会社をつくる、という分不相応な野心を抱きました。
しかし本質的には、私はひきこもりタイプです。小金が貯まったらひきこもって、毎日読書していればだいたい満足な人間です。
タブレットを買ってみて、電子空間に無料で読める大量の古典があることにあらためて気付きました。これはやばい。小銭を貯めて引退したとすると、一生読む本には困らない。廃人になってしまう。
それにしても、ビジネスや商売の面から考えると、これら古典の書籍が無料で配布されている事態は興味深いものです。
今でもリアル書店では、夏目漱石や太宰治や芥川竜之介や森鴎外などの、物質的に存在するリアルな文庫を販売しています。1冊数百円で。
無料で手軽に配布されている書物がある。それと同内容の書物を、お金を払って買う人はどういう人なんだろう。
私のような時代遅れの人間まで、端末に無料の書物を取り込むようになったわけで。著作権が切れた古典は、解説が詳しいとか装丁にこだわるなどの付加価値がないと、売れないようにも思われます。
著作権切れの書物が普及すれば、リアル書店で販売されていた古典の文庫は淘汰されるはずです。すると、古典の文庫に関わる仕事やお金が消えるのでしょう。
紙を作ったり輸入したりする仕事。製本する仕事。校正や編集をする仕事。書店に輸送する仕事。書店で販売や管理をする仕事。
そして消費者も、古典に支払っていた代金が無料になったので、そのお金は違う用途に使われるかもしれないです。
これらの消えた仕事やお金は、何に変わったのだろう?