貴族が奴隷をどう扱ったか、その実例から2世紀前後のローマ帝国を見ていきます。興味深い題材で、入り込みやすいローマ史の案内書です。
おすすめ
★★★★★☆☆☆☆☆
対象読者層
ローマ史に興味がある人。
要約と注目ポイント
・本書では、古典学研究者である著者が、仮想の貴族の語りを通じてローマ帝国の社会を解説する。貴族は奴隷をどのように見てどう扱ったか、貴族の奴隷管理からローマ社会をわかりやすく説明していく。
・ギリシャ人は、生まれながらの素質として、自由人と奴隷は異なると考えた。ローマ人は、生まれながらに自由人と奴隷が違うとは考えず、社会慣習であるとした。(ローマはどんどん拡張し、異国人を取り込んでいった。)
・ローマ共和制のころ、入植地を富裕層が手に入れ、買った奴隷に農作業をさせた。奴隷は子供が多かった。そのため、奴隷が増えた。
・主人たる家長は、ファミリア全体を維持し繁栄させるため、奴隷管理もしっかり行う必要がある。家という単位にとって、奴隷は基本要素である。ただし、奴隷は主人に絶対服従させる。しつけの行き届いた奴隷が多くいる主人は、格が上がり見栄が張れる。
奴隷の評価や売買について。
そもそも奴隷は、奴隷商人などにさらわれるか、貧困のためか、戦争で捕虜になったために奴隷になる。
どのような奴隷が売られているのか、家長はどのような性質の奴隷を買うべきか、どういった仕事をさせるのか。
奴隷は基本的に高額商品である。奴隷の購入は、農場では労働力にするための投資になるが、都市の富裕層では顕示的消費と言えるかもしれない。
奴隷を活用するために。
奴隷には、早く奴隷という身分に慣れさせよ。主人は上に立つものとして、奴隷を公正に扱うべし。
仕事に応じて、指導や訓練を行う。奴隷には適量の食事、仕事、罰を与える。良い働きには良い待遇を与え、長年の労働には、家族をもつことを許可したり、解放で報いる。
役割分担と責任をはっきりさせる。農場管理人など、奴隷を管理する奴隷は注意深く選ぶ。
主人は定期的に領地を視察して、奴隷の堕落を防ぐべし。
奴隷の性について。
主人が女奴隷と性的関係をもつのはOK。主人が青年や少年の奴隷と関係をもつのもOK。女奴隷が主人の子を産んだ場合、奴隷として嫡子の世話係にするのもOK。
働きによって、奴隷同士の婚姻も認めるのが良い。奴隷同士の子は家内出生奴隷となり、ファミリアに貢献する奴隷となる。
現代の観点からすれば性的虐待は多発しており、奴隷の精神に有害だったと考えられる。奴隷は強く解放や自由を願っていたようで、自意識や自尊心があったと推測される。
奴隷という存在について。
共和制のころは、主人が家長で奴隷は家人という、ひとつの世帯とみなす感覚もあったようだ。帝政期に贅沢も極まってくると、奴隷は完全に卑しい存在となった。
ストア派など一部の人は、奴隷の内面を重視し、奴隷に対し道徳的にふるまうべきと考えた。ただし社会全体では、高潔な主人がよく指導すれば、奴隷も優れたふるまいをする、という程度の認識だった。
奴隷への罰と拷問について。
奴隷への体罰はまったく通常の行為だ。ただ罰を限定的にしようという意識はあった。重罪を犯した奴隷は、酷使されたり処刑されたり猛獣刑(ライオンに食われる)になるのが当然だった。奴隷の処罰の判断が、皇帝に委ねられることも多かった。逃亡奴隷は重罪である。
奴隷を拷問にかけるのは、裁判で証言させるときだ。奴隷は道徳的に劣るので、拷問にかけないと真実を言わないからだ。このほか、主人が殺されたとき、そばにいたのに助けようとしなかった奴隷も、拷問にかけたうえで処刑される。
奴隷の楽しみについて。
奴隷の楽しみや息抜きとなったのは、年に1回のサトゥルナリア祭で、はちゃめちゃな無礼講だった。都市部の家内奴隷は、祭りを大いに楽しめただろう。
奴隷の反乱について。
奴隷は敵となるということを、主人は心構えとしておかなければならない。シキリア島の反乱、そして大規模なスパルタクスの反乱の例がある。いずれも、奴隷所有者の残虐な使役が原因となっている。
また反乱ではなくても、家内奴隷による主人殺しや、主人を告発するといった反抗もある。仕事をさぼったり、主人の悪い噂を流すということはよくある。家内奴隷の管理には、細心の注意を払うべきだ。
奴隷の解放について。
奴隷が解放される手段は主に3つ。主人が死んだときの遺言、主人が生きている間の主人の判断、奴隷が自分のお金で自分を買い取る。奴隷解放には法的な取り決めがあり、契約書を作成するのがよいだろう。
奴隷は解放後、解放奴隷となる。主人が保護者、解放奴隷が被護者として、関係は継続する。家内奴隷の方が解放されやすく、農場の奴隷は解放されにくかったと推測される。奴隷は5~20年ほど働くと解放されたらしく、好ましい人物とみなされればローマ市民になれた。
解放奴隷は、成り上がろうと野心を持つ者が多い。そして実際に、富豪となる解放奴隷の例もみられる。皇帝の奴隷や解放奴隷には、皇帝の側近として力を手にした者もいた。
キリスト教徒と奴隷について。
キリスト教徒は慈悲と施しを説くが、キリスト教徒も奴隷の扱い方は変わらなかったようだ。初期のキリスト教では、奴隷は不道徳な行いをすると考えていたし、奴隷制を批判することもなかった。
書評
ローマ帝国における権力者、富裕層といった人々が、どうやって奴隷を管理したか。この観点からローマ社会を解説していきます。これだけでもかなり、読者の興味を引くためにエンターテインメント色が強い感じがします。ですがさらに、当時の貴族が書いた本という形態をとっており、「つかみ」を意識しているようです。
そんなわけで、気楽にガツガツ読み進められます。小ネタとなるエピソードも満載です。私は歴史に弱いので判断できないのですが、著者は古典学者なので、内容に大きな誤りはないのでしょう。ゆるい気持ちで、ローマ社会史・生活史の入門書として読めます。
本書は仮想の貴族の語りと、著者の解説の二本立て構成です。解説部分には参考文献が記載されているので、さらに詳しく勉強もできます。
私はもうちょっと硬い形式で書かれていても、気にならないのですが、今は読者が読みやすいように学者も配慮する時代なのでしょう。
逆に真面目な人は、エンターテインメント色や、ややブラックな味付けが気にかかるかもしれません。まあ肩に力を入れずに読めば、どういう立場の人でも、ローマ史の読み物として楽しめるでしょう。
なお本書は、人をどう動かすか、目的のために人をどう使うか、という経営論やリーダーシップ論の視点からも書かれています。
ローマ社会史入門とリーダーシップ論を、同時に読みたいという人がいるのでしょうか。焦点をローマ史だけに合わせるか、古代に学ぶ経営論だけとするのか、両方盛り込むのか、この点でも好みがわかれるかもしれません。
(書評2015/09/15)
