「資本主義の終焉と歴史の危機」 水野和夫(著)

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先進国の金利が上がらず、インフレ率が上昇しないことが謎でした。なぜあれだけ金融緩和してインフレ率が上がらない?本書の帯に、金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死、とあったので、ここに謎の答えがあるかと読んでみました。

おすすめ

★★★★★☆☆☆☆☆

 

対象読者層

世界経済について考えたい人。世界の歴史や社会構造について考えたい人。

 

要約

資本主義の終わりが近づいている。
資本主義は、「中心」が「周辺」(フロンティア)を広げることによって、「中心」の利潤率を高め、資本を自己増殖させるシステムである。もはや地理的な市場も、金融・資本市場にもフロンティアは残っていない。また、中間層が貧困化するために、資本主義を守るインセンティブが失われていく。

先進国の金利が極めて低くなっている。金利は資本利潤率とほぼ同じと言えるので、利潤率が極端に低下していることを示す。これは利潤を得られる投資機会がないということである。

・1970年代以降、近代資本主義が地理的に市場を拡大できなくなった。また資源価格が高騰し、利潤率は低下した。これを克服するため、アメリカは電子・金融空間を構築し、利潤を求めた。

・1990年代に国際資本の移動が自由となり、アメリカは金融帝国となったが、その新自由主義的制度のため貧富の差は拡大した。また資本の移動とレバレッジをかけた投資により、バブルの生成と崩壊が繰り返された。

グローバリゼーションは、「中心」と「周辺」を組み替える。はじめは途上国が「周辺」だったが、途上国が新興国になると、あらたな「周辺」がつくられる。あらたな「周辺」は、アメリカでいえばサブプライム層であり、日本でいえば非正規社員であり、EUでいえばギリシャやキプロスである。

民主主義は、価値観を同じくする中間層があって機能する。「中心」のなかに「周辺」をつくりだすと、中間層は没落し、民主主義は機能しなくなる。

・マネタリスト的な金融政策は、低金利下では有効ではない。(貨幣流通速度が一定という前提が成立しない。)金融緩和政策は、資産価格の上昇(バブル)を引き起こすだけである。

先進国が輸出によって、経済を再生させることはできない。新興国は自国の雇用のため、現地生産を行わせる。また地球の資源は有限であり、技術革新による成長も幻想である。アメリカはサービス収支が黒字のため、ドル高の方が好都合である。

バブルは崩壊すると、成長分を打ち消す信用収縮をもたらす。信用収縮対処のため公的資金が投入され、企業は人員整理を行うので、被害は全国民に及ぶ。信用収縮からの回復をめざし、成長のため金融緩和と財政出動することで、また新たなバブルが生成される。

・「周辺」である途上国が、新興国(BRICS)として近代資本主義市場に取り込まれた。新興国は基本的に輸出で成長してきたが、先進国がリーマンショック以降に輸入を減少させたので、成長は鈍化している。先進国の需要は回復しないので、これからは新興国の輸出型成長モデルは持続しない。

「価格革命」とは、供給に制限のある資源や食糧の価格が、従来の仕組みを超えて非連続的に上昇する現象である。16世紀の欧州で、食糧に「価格革命」が起きた。この原因は、人口増加と、異なる経済圏(地中海・英蘭仏独・東欧)の統合、貨幣価値の下落(新大陸の銀山の発見)である。

「価格革命」により、荘園制・封建制から資本主義・主権国家システムへ移行した。封建的生産様式が限界に達し、消耗した封建領主の権力は、絶対王政の国王(国家)へ集中した。国家は資本と一体化し、利潤を独占した。(労働者の実質賃金は16世紀から19世紀まで低くなった。)

21世紀も、経済圏の統合とマネーの創出(金融空間におけるレバレッジの高い投資)が起きた。それにより、資源価格(原油価格や食糧価格)が高騰している。また、資源価格の高騰により企業の利潤が減ったため、企業は人件費を削減し始めた。20世紀末から、労働者の実質賃金は低下している。

・16世紀の「価格革命」は、当時の新興国イギリスの1人あたりGDPが、先進国イタリアと並んだときに終わった。21世紀の「価格革命」は、中国の1人あたりGDPが日米に並んだころ(20年後?)に終わると推測される。

電子・金融空間で創出されたマネーが、新興国の過剰な生産設備を生みモノのデフレを引き起こす一方、供給力に制限のある資源価格は上昇させた。資本が国境を超える21世紀では、資本と国家(国民)の利益が一致しなくなった。

新興国の国民全員が先進国並みの生活を送ることは、残存する化石燃料の限界から不可能である。資本が国境を超えるため、これから先進国は国内で二極化が進む。新興国は国民全員が中流となる過程を経ずに二極化する。

中国では過剰な投資がなされており、バブル崩壊は必至である。中国の過剰な供給力は、今後デフレを招くだろう。資本主義は、過剰・飽満・過多を内在的に有するシステムである。エネルギーを無限に消費できることが近代資本主義の前提だが、その前提はもはや成立しない。近代資本主義システムが限界にある以上、そのシステム内における米国から中国への覇権国家の移行は起こらないだろう。

近代資本主義の限界に、最も早く突き当たったのが日本である。バブル崩壊と過剰設備、人件費削減とデフレ、ゼロ成長にゼロ金利が最初に日本で現れた。近代の危機は、金融緩和や積極財政では解決できない。構造改革は既存のシステムを強化するだけなので、既存のシステムの危機には通用しない。ゼロ金利は資本主義が成熟した印である。

成熟し資本主義の限界に到達したら、成長を追うのをやめるべきである。強欲や過剰を抑え、ゼロ成長でも維持できる均衡した財政制度をつくるべきだ。

ユーロは政治同盟であり、欧州債務危機は西洋文明の歴史的危機である。英米は海の国であり市場を支配(資本の帝国)したが、独仏は陸の国であり欧州の統合(領土の帝国)を志向した。主権国家システムを超える形態として、ユーロ帝国の可能性がある。これは共通の価値観に基づく政治組織の下に、複数の国家や地域の権威が連なる秩序である。
グローバル化した資本主義に国民国家は無力で、ユーロとしてこれに対抗しようとしたが、対応できていない。ユーロ帝国も近代の限界を超えられないおそれがある。

ヨーロッパ精神の基本概念は「蒐集」である。帝国は諸国・諸民族を集めたコレクションである。ノアの方舟の蒐集に始まり、中世キリスト教は魂を蒐集し、近代資本主義はモノとマネー(利潤)を蒐集してきた。資本主義は最も効率的に蒐集を行うシステムである。ユーロは理念によって領土を蒐集する帝国である。

・歴史的に「時間」と「知」は神の所有であった。利子は時間に値段をつける行為であるが、12世紀に利子が成立し、時間は神から人間の手に移った。大学の出現と宗教改革により、知は人間の所有となった。

蒐集は資本主義を生み、資本主義は中心と周辺をつくり、中心は周辺から富を蒐集した。超低金利時代で利潤が得られなくなれば、蒐集はできなくなる。

資本主義は少数の人間が利益を独占するシステムである。これまでは先進国(全世界の人口の15%)が利益を享受してきた。先進国と新興国の経済的な壁がなくなったため、あらゆる国の中に周辺が生まれ、格差が拡大している。世界に周辺を見つけられないため、資本主義の論理から周辺が生み出され、システムの矛盾が大きくなっている。資本主義は資本の自己増殖のプロセスであるから、ゴールはない。ゴールがなく、利潤ゼロの世界で利潤を求め続ければ、システムは破綻する。

積極財政、時価会計、化石燃料の消費は、未来世代からの収奪である。資本主義が破滅をもたらす前に、ソフト・ランディングを考えなければならない。ハード・ランディングのシナリオには、中国の過剰バブル崩壊がありうる。中国のバブル崩壊後は、世界中で過剰設備となり、デフレの低成長・低金利時代となるだろう。ソフト・ランディングするには、G20が資本主義にブレーキをかけなければならない。ゼロ成長の定常状態を維持できるシステムが必要となる。

 

書評

2008年の金融危機以降、先進国にはもはや中成長の時代が訪れないのではと感じていました。十年単位でずっと低成長ではないのか。それは、世界が生産過剰となって(あるいは人件費の安い国に生産が移転し)モノが安くなり、生産活動による利益があがりにくくなっていることが理由です。しかし、資本主義下では企業は利益を上げねばならず、近年それは主に人件費の削減により達成されています。しかし人件費の削減は中間層を没落させ、中間層の消費により利益を得ていた企業をますます苦しめるものです。そして中間層の貧困化は社会不安を招き、民主制度に危機を生じさせると考えていました。本書の主張は漠然と持っていた考えと重なるものでした。

しかし考えが異なる部分もあります。

疑問のひとつは、本当に異例の低金利が続くのかということです。本書の中に、14世紀以降の経済覇権国の金利という図がありますが、17世紀以降だいたい金利は2~6%です。日米英で金利が10%を超えたのは、1970~1990年頃だけです。逆に第二次大戦後の高成長の時代が異常と考えたらどうでしょうか。

2015年以降に米国が利上げを始めて、米国の長期国債が3~4%になれば、歴史的には普通の水準になるのではないでしょうか。オーストラリアやニュージーランド、イギリスあたりは金利が3%前後ですし、利上げを始めている国もあります。

ほかの疑問は、自由貿易や規制緩和をすべての悪影響の原因としていることです。諸悪の根源をすべて新自由主義に押し付けるのは、やはり少し無理があって、そのほかの要因も丁寧に見ていくべきかと思います。

例えば日本の非正規雇用の問題ですが、確かにバブル崩壊後の過剰人員を削減し、生産調整を容易にする過程で増えてきました。しかし非正規雇用という身分より、同一労働同一賃金でないことの方が問題ではないかと思います。パートやアルバイトという非正規雇用者を切って、新卒の採用を抑制するという経営努力をした後でないと、正社員の解雇はできないという判例が確立しています。給与においても、福利厚生においても、退職後の年金においても圧倒的に保護されている正社員を守るために、非正規雇用者を削減してよいとされているのが現在の日本の制度です。

景気の波で就職状況は一変しますが、自身の責任ではない就職時(新卒時、あるいは10代20代)の景気によって、その後の人生が左右されるというのは公正ではないと思います。一度非正規雇用となって技能を蓄積する職に就けないと、その後ずっと待遇の良い職に移動できないという雇用流動性の低さが、希望を失わせ社会の閉塞感につながっているように感じます。

また、福島第一原発事故の原因も資本主義の限界に求めていますが、私は日本社会の風土がもたらした人災の要素が強いと考えます。どちらかというと、資本主義よりは第二次大戦での日本軍に見られた失敗の本質の方が、原発事故の原因かと思います。

規制が強く成長せず流動性のない低位安定の社会は、生まれながらに不遇な環境な人や失敗した人には、一生浮かび上がれない社会ではないでしょうか。バブルは弊害が多いですが、いいところが一つあるとしたら成り上がりのチャンスがわずかにあるということです。底に沈んで絶望している人も、バブルという熱狂に染まった世界や流動性の高い世界なら、わずかに抜け出す機会があるでしょう。もちろんほとんどはうまくいきませんが。

このような新自由主義的な希望がダメとなれば、現実の世界に正しく対応できる極めて難易度の高い社会システムが必要となります。近代資本主義は人間の欲望に根差しており、一度知ってしまった欲望を忘れることはできません。人間の欲望と並行して存在する近代資本主義を超えるなら、とてつもないシステムが求められるでしょう。資本主義と共産主義、社会民主主義を超克するシステムを構築しなければなりません。しかし、そのようなシステムは人智の及ぶものではないようにも感じます。
(書評2014/05/06)

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